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History of BETTINARDI

世界初のワンピースミルドパターの誕生

父の工場からの独立

Robert J. Bettinardiロバート・J・ベティナルディ、彼の人柄を知る者は、ロバートを親しみを込めてボブと呼ぶ。
アメリカ第3の都市であるイリノイ州シカゴで、医療品などの超精密機器部品のミーリング工場を経営する家の次男として生まれたボブは、父の後を継ぐべく、ミルウォーキー工科大学でその技術を専門的に勉強する。4年間の学生生活で、勉強の他に新たに始めたもうひとつの楽しみ、それがゴルフだった。
「最初は、本当にへたくそだった。でも上手くいかなくてもゴルフの楽しさにハマったという感じだったよ。もちろん今はもう少し上手くなったけどね。」
現在はシングルハンデのボブだが、勉強とゴルフと、充実した大学生活を過ごした後、22歳から6年間、父親の下でミーリング技術はもちろん、会社経営のノウハウを学んだ。そして28歳のとき、当時8,000ドルの大枚をはたいて手に入れたコンピュータ制御マシンとともに独立した。

1枚のポスターからの快進撃

独立して2年、医療や通信(普及し始めた携帯電話のアンテナ等)機器の製作を請け負い、社長と従業員で計2名の会社は順調なスタートを切っていた。趣味としてのゴルフも続き、そんな中訪れたゴルフショップの店内に飾られていた1枚のポスターが、彼の人生を大きく動かすことになる。
「大きなブロックから削り出されたことを強調したパターの写真。これを見たとき、これなら僕の工場の技術を使えば、もっと良いものが作れるんじゃないかって直感的に思ったんだ。もちろん、ゴルフクラブを作るノウハウなんか全く知らなかったけど、何かに魅せられたようにそこに売っていた80ドルのパターを1本買って帰ったよ。」
そこからボブの行動は素早かった。メーカーを突き止め、そこのクラブデザイナーに直接電話すると、当時削り出しパター隆盛の先鞭を付けたパターデザイナーだったその彼は、何とその電話でいきなりボブにパターを製作してくれと依頼したという。
「彼は当時、腕の立つミーリング技術者を探していたようだった。もうその週末にはサンディエゴにある彼の会社でパター作りのノウハウを教えてもらっていたよ。」
シカゴに帰ってからのボブは、試行錯誤で3ヶ月パターを作りまくり、試作第1号ですぐに500個のオーダーが出たという。その後、彼の高いミーリング技術は数々の著名なクラブデザイナーたちの目に止まり、ボブの工場は多忙を極め事業も拡大していった。

クルーズとの出会い

クラブデザイナーとの最強タッグはとうとう1993年、マスターズを制覇した。
世界初のネック一体型のワンピースミルドパターは時代を席巻し、工場はフル稼働の日々が続く。その一方で徐々にボブの気持ちの中で、自身の名前の入ったパターを世に出してみたいという気持ちが芽ばえ始め、アメリカ国内では細々とオリジナルパターの販売もするようになった。
そんなとき偶然、丸山茂樹のスタッフからパター製作の依頼が入ってきた。これをきっかけに、ボブは未知ではあるがビッグマーケットである日本への進出を模索することになる。
そして、当時すでに先駆者として日本ツアーでトーナメントサービスという新しい地位を築いていた株式会社クルーズ(以下クルーズ)と出会い、程なくしてボブとクルーズ、そして丸山のチームが出来上がり、その第1作として丸山モデルの『maru23』が完成した。これを丸山はすぐにバッグに収めた。当時、日本で活躍していた丸山が、目新しいパターを使い始めたことで、『ベティナルディ』の名前は一気に日本で知られることとなる。

日本進出から18年〜そして新たなスタートへ

クルーズは同年より、日本国内でのベティナルディ・パターの販売を本格的に開始する。ボブのこだわるツアープロモーションもすでに実績のあるクルーズの全面サポートでスタートした。さまざまなプロからの信頼を武器に、国内での勝利を積み上げるのと同じ歩みで着実に日本市場に浸透していった。このとき、クルーズのツアーバンでプロのクラブチューンナップを行っていた宮原圭史(現当社代表)がベティナルディ事業の日本側マーケティング担当者を兼任することになったのは、単なる偶然以上の何かを感じる。
そしてベティナルディは、本国PGA TOURでもメジャーを含む数々の勝利を積み重ね、名実ともにワンピースミルドパターの頂点へと登りつめていた。
そして2011年、ボブは日本市場でベティナルディをリブートさせるためのパートナーとして、長年タッグを組んできた宮原を選んだ。
「すべてはKEIJI(ボブが宮原を呼ぶときの愛称)との出会いだった。彼との良好かつ濃密なコミュニケーションなしではここまで来られなかった。今は確かに日本ツアーでは純粋な金属フェースは苦戦しているが、世界と同じように必ず本物が必要とされるときが来ると思う。われわれは焦らず、常に最高のミルドパターを作り続けるだけだ。日本のファンとともに歩んできたこの18年間は私たちの大きな誇りであり、財産だ。これからの新しいストーリーに期待して欲しい。」

この記事は2011年1月現在で制作しています